茶道の12か月
一月
初釜:新年は初釜の茶事でお祝いをします。
・初釜にふさわしい掛け軸と花
春入千林處々鶯
春、千林に入る処々の鶯
二月
・2月は節分に因んで、茶家では節分釜の名で釜がかけられ、立ち返る春を祝う習いがあるようです。
・寒い時期なので客にはなるべく暖かにと暖をとりいれる手立てとともに、見た目にも温かさを感じさせるよう工夫します。
鶴は飛ぶ 千尺の雪
三月
・2月28日は利休の命日です。ひと月遅れの3月27日に家元では利休忌が催されます。
・この利休忌に因んだ七事式「茶カブキ」が行われることもあります。3種の濃茶を飲み比べて銘柄を当てる一種の遊びです。(これは表千家の伝統かもしれません。)
竹有上下節(竹上下に節有り)
「松無古今色 竹有上下節」という対句から
四月
五月
・5月は、暦の上では夏、茶室の模様替えが行われます。半年間使った炉をしめて、風炉を畳の上に据えて釜をかけます。このとき、「初風炉の茶事」が行われます。
・5月はまた茶摘みの始まる時期でもあります。
春は花とみなひとごとに昔よりいへどもわれは茶の芽うれしき 宗旦(利休の孫)
という歌があります。
六月
・6月は、梅雨時でじめじめとした雨模様の日が多いですが、露地には色々な花がはき乱れます。このような花を楽しみつつお茶をいただく、そのような月です
・茶事について。茶の湯は茶事を楽しむこと、と云われます。そのためにお点前などの稽古をするのです。正午の茶事では、正午ごろ迎え付け、席入り、懐石、お菓子、中立ち、後座、濃茶、薄茶という形で、順序よく合理的に仕組まれています。
火裏(かり)に清泉を汲む
火の中から清泉の水を汲み上げることで あり、常識的分別・判断を離れたところから生まれる自在の働きを表している。絶対的な 無の境地が可能にする束縛の無い行いをさしている。
七月
雲は無心にして岫(しゅう)を出(い)ず
岫とは谷あい、山の穴の意。山腹のほら穴からもくもくと雲をは吐き出し、雲は無心にして沸き出でて流れ行く、自然の雄大なる風光が伺える。雲は全く無心です。風吹けば風のままに流れ、悠々として湧き出て、悠々として去っていく。行くも止まるも作意がない。あっちがいい、こっちが好きだという好悪嫌着の計らいも無く何のわだかまりも無い。自由自在な無心無我の境界をあらわした言葉。
大自然の中に自らがとけこんでしまった無心の境地。
八月
暑さが続く(今年は猛暑ですが)8月は、せめて早朝の涼気を味わい楽しむため、朝六時ころからはじまる「朝茶」が催されます。
通常の茶事より若干簡略化された茶事で、濃茶にひきつづいて「つづき薄」にて薄茶が点てられます。
客は日の高くならないうちに早々と帰路につきます。
山花開似錦 澗水湛如藍
さんかひらいてにしきににたり かんすいたたえてあいのごとし
九月
十月
・十月は茶の湯では、名残とよばれます。
・昨年の十一月から使い始めた茶壷の茶も残り少なくなるころです。
・いかにも心細く、茶の名残が惜しまれるからだといいます。
・また、十月は次第に冬に向かい寒くなってくるため、風炉は今月限りになり、来月からは炉になります。
十一月
炉開き(風炉から炉に変わる) 新茶(口切り:茶壷を開封) お茶の正月
十二月
夜咄(よばなし)夜の長いこの時期に夕暮れに集まり、夕食を共にしながら、お茶のこと、この1年のことなど、ゆっくりと歓談しながらの茶事。
紅爐一点雪(こうろいってんのゆき)
・真っ赤に燃える炉に一片の雪。⇒一瞬にして消える。真の禅者の境涯というものは、あらゆる事象にとらわれることも、こだわり引きずることはないということ。
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